シリコンバレーで構想、深センで起業 Ankerの「企業文化」という強み

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「ここまで国籍を感じさせない、多様性豊かな企業があったのか?」

それがAnkerに出会った時の第一印象だった。そして今回、中国の深セン本社、米国のシアトルオフィス、東京にある日本法人の3拠点を取材して、彼らの「企業文化のイノベーション」を実感することができた。

アマゾンをはじめとしたEC市場のモバイルチャージー関連部門で圧倒的なシェアを誇るAnkerは、愛用者も多いのではないだろうか。同社は2011年、中国で創業された。

現在、深センと長沙を本社とし、米国、日本、ドバイなどに7拠点を持ち、全社員数1500名以上で世界展開をしている。創業当時からの売上比率1位は米国、2位が日本、そして3位が欧州であり、2018年度の総売上は約8億ドル(約860億円)を突破している。

シリコンバレーで構想を練った

深センの本社で会った創業者/CEOのスティーブン・ヤンは、「なんて穏やかな人なのだろう」というのが第一印象だった。

そんな彼が30代半ばにして、真のグローバル企業を率いている。いや、率いているというよりも、彼の周りに自然と多様性豊かな仲間が集まり、その輪が世界に広がり、そしてメンバーが自らイノベーションを起こすという企業文化が築かれている。

その企業文化の基盤となっていると言えるのが、スティーブン自らが中国にバックグランドを持ちつつ、グーグルの検索エンジンのトップエンジニアとしてシリコンバレー本社の勤務経験があることだ。

ソフトウェア企業出身者による、ハードウェア市場における隙間の発見。それは、信頼出来る品質のモバイルバッテリーをリーズナブルな価格でエンドユーザーに直接提供し、サポートを充実させるというビジネスモデルであり、今となってはシンプルなこのループだが、当時は存在していなかった。

自らのビジネスモデルを実現しようと、シリコンバレーで働きながら構想を練り、夜な夜な中国とのやり取りを開始する。優れた製品が必要なため、その開発と製造に適した深センを本拠地に選んだ。

ゼロから売り込んだ日本人

そんなカラフルな環境に、ごく初期に、外国人として飛び込んでいった日本人がいた。現在の日本法人代表の井戸義経だ。

井戸は東京大学卒業後、米国系金融機関勤務を経て、2012年にAnkerと出会った。そして、何のゆかりもなかったが、「この製品は日本でもヒットする、日本でのビジネスを僕に任せてほしい」と自らコンタクトをとり、ビジネスプランを売り込んだ。

その原動力は何だったのか。「最初の動機は、それまで勤めていた会社から独立することでした」と井戸は言う。複数の海外ブランドを日本市場に持ってくることを考えていて、Ankerもそのうちの1ブランドとして考えていた。

「スティーブンとプレジデントのドンピン・ジャオと出会い、『市場と向き合うメーカーになる、ビジネスモデルのイノベーションを起こす』という彼らのビジョンに共感し、これだと確信したのです。当時の製品から既にその意思の高さを感じていましたから。それでこの製品に全力を賭ける決意をし、ゼロから日本法人を設立し、日本市場を開拓する挑戦を始めました」

そして、設立初年度で売上10億円をあげ、目標であったアマゾンでのシェア1位の座に上り詰めた。

井戸が率いる日本法人の成功の秘訣は何なのか? それはAnkerの企業文化である、徹底したローカライズ、フラットな組織、透明性、そしてグローバルで最速スピードを実現している点であろう。

とくに徹底したローカライズには驚く。製品の価格設定、ブランディング、販売戦略、採用戦略、すべて日本のチームが主導で進めている。個人的に多数の外資企業との仕事をしてきたが、価格設定からローカルに一任している企業は、私の知る限り他に聞いたことがない。

「その裁量権を最大限活用しながら、本社からのサポートも最大限に引き出す、その建設的な信頼のループを廻し続けていくことが重要だ」と井戸代表は話す。

また、カスタマーサポートチームを自社内に設けている点も成功のカギといえる。市場と向き合うメーカーとして進化していくということは、ユーザーの声をリアルタイムに受け止め、改善改良を日々追求するということ。そして「製品プラスαの付加価値も提供する」ということだという。

そのためにAnkerでは、顧客の目であり耳であるカスタマーサポートチームを拠点毎に社内に設け、全商品18カ月保証とともに、きめ細やかなサポートを追求している。

企業文化をグローバルで共有

なかなか真似のできない企業文化だが、その文化がグローバル全体でもブレずに共有されていることが、とくに素晴らしい。そう実感したのが、シアトルのオフィスでコミュニケーションのグローバルヘッドである米国人のエリック(Eric Villines)を取材した時だった。

エリックはテクノロジーとマーケティングの両方を専攻後、サンフランシスコやシアトルを中心にライター、メディア媒体、PRエージェンシー等を経験してきたコミュニケーションのエキスパートだ。

彼がAnkerと出会ったのは2017年。スティーブンとの初のテレビ面談で4時間も話し込み、そのクリアなビジョンやミッションに共感し、アジア発Ankerを「グローバルブランド」としてさらに進化させるために仲間入りした。

その開発に約2年間力を注いできた彼が、嬉しそうにこう話してくれた。

「僕は新卒から開発部門でプロジェクトマネージャーや製品開発を担当させてもらっている。他社からも複数内定は貰っていたけど、Ankerに入社して本当に良かった。自由な雰囲気の中で、自ら手を上げれば新卒でもチャンスが廻ってくる、これからも世界市場に認知されるインパクトのある製品開発をしていきたい」

一見真似しやすい製品だからこそ、あくなき技術革新が不可欠であり、またいちばん真似が難しいと言えるユニークな企業文化があるからこそ、人才を活かしきり、グローバルで製品価値と企業価値を高めていくことができているのだ。

違いを最強の強みにする私は今までグローバルカンパニーと呼ばれる企業と多数関わってきたが、欧米系でも中華系でも日系でもない、これほどまでに多様性豊かな企業は非常に珍しい。

大手企業のみならずスタートアップでもそうだ。技術力や個々の能力は素晴らしい成長企業は増えたが、バックグランドの違う仲間を活かす企業文化はなかなか築けないという新たな課題を、昨今感じるようになっていた。Ankerはその課題をクリアしている。

では、創業者がスティーブンのような経験をしていなければ、このような企業文化を築くことは不可能なのかというと、3拠点の取材を終えた今、私はそうは思わない。確かに創業者のハイブリッドなDNAの影響力は大きいが、もし彼が同胞だけを集めたい経営者であれば、Ankerは決していまの状態にないだろう。

「自由な風土は大切だ、ただしそれだけでは成り立たない。皆の情熱のベクトルを合わせること、単純にそれが僕の役割だと思う」。スティーブンのそのシンプルな言葉が深く心に響いた。

国籍や出身地が同じであっても、人はそれぞれ違いがある。その違いを認め、尊重し合い、ビジョンとゴールを明確に共有し、ローカルと個人を信じて任せていく。その先にこそ、多様性を最強の強みにしてイノベーションを起こす、そんな企業文化を仲間と共に築いていけるのではないだろうか。
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投稿日

2020-05-06

シリコンバレーで構想、深センで起業 Ankerの「企業文化」という強み

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